2019年2月中旬の雨の日。
雨と竹林。
見慣れたようで懐かしい…すっとする空間、そして匂い。
茂木町町田の竹細工職人、伍竹庵の五月女さんのところ。
「まほろば竹伐り塾」に参加しました。
ご自宅のある「かごめらぼ」は千本城跡に位置する見晴らしの良い高台。
柚子がなり、梅が咲き…斜面にはニホンミツバチの巣箱、沢水が流れ込んだ場所にはマコモ。
そしてバックにはまるで千本城の要塞のような真竹の竹林。
この歴史的にも何かあったことが感じ取れるほどの雰囲気の竹林で、竹の見分け、材料としてとるに最適な竹の選び方、伐り方、運び方、保管の仕方、病気のこと…
そして竹林の整備方法など…
たくさんのことを教えていただきました。
竹は軽くて柔らかいけれども強く、なにより加工しやすいことから昔から生活の道具を作るのに欠かせない材料であったそう。
そのため、身の回りに移植されてきたようです。
僕が釣りのランディングネットを竹で作ろうと思った一番の理由はまさに、身近な存在であったこと。
本当に昔の先輩方に感謝しなくちゃいけません。
竹でつながっている、そう感じました。
そんな大先輩方が植えた真竹の子孫を伐りだして…
ヒゴ作り。
初めての竹鉈。
竹の持ち方、力のかけ方…ヒゴ作りはそう簡単ではありませんでした。
リンゴの皮を剥くように…
どうしても力を入れるポイントで鉈が怖くて持ち手を離したり、同じ厚さにならなかったり…
想像以上に難しい。
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今ここは千本城なのか
作業の流れをつかんできたためか、ご一緒した皆さんの集中力も高まって、もくもくと手を動かす、静の時間が流れ始めたころ。
午前中のみの参加であった僕のために、大介先生が”節あり”の場合のヒゴ作りを急ぎ教えてくださいました。
竹を脇に挟んで…竹鉈の刃を自分に向けて…
節の部分を一思いに力を込めて割き込む。
そのとき。
言葉では表現することが難しいのですが…
ボワッとその一瞬ですが、大介先生が割き込んだ時に、
まさに、
かつての千本城にいた…
見たことあるような瞬間…
そんな感覚になったんです。
そして、間髪いれずに、ぞわ~っと寒気とは違くて熱くジンとするものを胸に感じたんです。
もちろん、人生で初めての体験というか感覚。
スピリチュアルな話は信じていないんですが、もしかしたら何かあるのかな?
と、さすがにそう思って…
千本城を調べたんです。
〇千本資俊(すけとし)が芳賀高定(たかさだ)と謀り、那須高資(たかすけ)を誘殺する事件の舞台。
〇千本資俊は、殺害された那須高資の甥・那須資晴の陰謀に会い、烏山の太平寺にて謀殺され、城は落城。
〇その他
那須氏、伊王野氏の重臣で弓の名手の鮎瀬弥五郎、宇都宮尚綱、五月女坂の戦い、下野宇都宮氏、稲毛田城、綱川右近丞…
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ネットで調べてみたにすぎないのですが、なんだか出てくる名前、響き、場所など、竹伐り塾での感覚をまるで裏付けるような…
偶然なのかもしれません。
でも、現代で竹を通じて出会い、竹について学ばせていただいたこと、これはまさに歴史的な何かの繋がりというか、ご縁があったのだと、僕はそう思うんです。
そして、塾を通して自分の製作について新たなアイデアが生まれましたし、故郷の歴史についても知りたい気持ちが生まれたり、自分を大きく膨らませることができた濃厚な時間をいただきました。
五月女さんご夫婦に心から感謝します。
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塾に向かう前、那珂川の河原に向かいました。
那珂川の河原にも沢山の竹林が存在します。
今は台風19号の影響をうけて川沿いの竹林はこのような状況になっています。
これらの竹林は上流から流れて着いて、自然にここに根ざしたのでしょうか。
そんな気がします。
かつてから、那珂川沿いに竹が分布し、そこから人々の家や畑、山へと人が移植したのだとすれば、竹と那珂川はとても深い関係にあると言えるんじゃないでしょうか。
そして、那珂川と共に生きた先輩方は、暮らしのために竹で筌や竿を作り魚を捕ったわけです。
那珂川、水、魚、竹、暮らし…
ぐるぐるぐるぐる…廻っているようで…
実はその軸はやはり、「那珂川」にあるような…
きっとそうです。
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