拝啓
泥蜂融越せんせい
ぼくのつち
でろっでろに
とろけたり

山向こうのひろしせんせいの穴窯での焼きが終了し、窯出し。

生でみたひろしせんせいの作品は、想像していた以上に「火」と「土味」を感じる荒々しいものだった。
野性的であり、せんせいのまなざし(目力)を強く感じるもの。
やはり、ここ那珂川流域にとりつかれた者であるに違いない。

結果から言えば、僕のぐい呑みのほとんどは融け流れ…
原型をとどめていなかった。
ひろしせんせいの窯の一部として焼成。
ただ奇跡的なぐい吞みもあった。

焚口の横の小さな祠におさめられたこの盌は、鯉の尾びれのような、あるいは晩秋のサクラマスのような深赤に染まっていた。

一部は艶があり…

川汐灰と藻屑灰は融けはしなくとも焼き付いた。

飲口はカワムツやアユの背筋のような、あるいは脱皮したばかりのサワガニかモクズガニ幼体のような…

あるいは白いバケツに収容されて色変わりしたキンブナの金山吹色のような…

とにかく誰にも共感されないような色彩を帯びていた。

これは大成功。
がしかし、水を注ぐとじんわりと…
いつしかその勢いは増し、瞬く間に消え去った。
まさに注いだらすぐ、ぐいっと呑みほさないといけない、その名のとおりのぐい吞みが完成した。
「ぐい吞みが完成したら差し上げますよ~」なんてよしふみさんに言ったのだけれども、”注いだらすぐに飲むほうではない”とのことで、次回の完成に期待いただくこととした。

ほぼ壊滅状態だった奥のぐい吞みたち。

この一点だけは熱さを耐え忍んだらしい。

微かに2色、川汐灰と藻屑灰が感じられるような気がする…。
この融け傾き加減が、那珂川の滔々とした流れと、そこに交わるこの土地の空気を感じさせてくれる…
…ような気がする。
そして野点用の青藻屑盌。

色の出方というか組み合わせは狙いどおりだったと、生意気にもうなずいてしまった。

川粘土の鉄土の色味、そこに交わる川汐灰や藻屑灰。
久野陶園でのてろってろなあの経験が生きたように思う。

この泥々しい質感。

土に藻屑灰がのりかたまり、川汐灰の山吹が咲いた。

これはもう大成功だ。

内側も川汐灰と藻屑灰が融けさがり、焼きあがる時間の流れが感じられる。

どの部分を切り取っても、どこも同じでなく、つまりは「たいへんしつこい」のだが…
飽きない。

うれしい。

ガラス化も。
あの時のベルツノガエルのような緑も恋しくもなった。

これだけ載せたらもうお腹いっぱいだろう…。

ただひとつ、大きな問題があった。

それは割れ。
どうやら練りがあまいようだ。
内側は亀裂が多く、水はとどまってはくれない。
時間ができたら…いや、来年の春、鮎の遡上時期までには漆で埋めよう。
さ~何を漆で封じ込めようか…。

多くは融け流れ雲がかったが、大きな光が差した。

春までに何をてづくねるか。

それはもう明確だ。
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