それは今の僕たちのすぐそばにあるもの。
様々な歴史を物語る遺品というのか、なかなか重々しいもの。
いったい誰がいつ頃使っていたのか、何のために使っていたのか。
想像は膨らむばかり。
時代は旧石器時代にまでさかのぼるものもあれば、ごく最近と思われるものまで。
すべて、ここに生まれた僕たちの先輩方そのもの。
形や模様、磨り具合などを手で感じれば、自分ではない遥か昔の誰かの記憶の中に入ることができるような感覚。
そこにとても面白さがあって、自分の記憶を遡ればそれは、小学校の頃の石広い、土器探しに始まったのかもしれない。
たかが数十年の人生の中で認識している時間を基準に考えれば、旧石器時代1万8000年前というのは想像もできないほど遠い昔で、その後1万年も続いたとされている縄文時代でさえも、遥か昔。
そんな想像できない時代のものが、極身近に存在しているというのは…
とても不思議なこと。
なかなか呑み込めない。
手に触れる機会があれば、言葉にできないほど感動するはず。
サイコメトラーEIJIであれば、とてつもなく長い時代の経過と当時の持ち主の生活までもを見ることができるのに…。
その見たさ知りたさ、探求心に従順に本気で遺品を調べ、その時代を知ろうとする熱い人たちがいることを、最近になって知りました。
今年のGWキャンプの時、那珂川で不意に彫り始めた矢じり。
10年ほど前に作った鹿角のキーホルダーを使って、紫がかったメノウのような石を砕いて得た破片をもとに、少しずつ彫りすすめました。
大きなものはとても難しく、小指の爪ぐらいの大きさが限界。
当時のことを想像しながら彫ると、美しい矢じりができました。
縄文の時代にはきっと、これを矢にして弓をうち、イノシシやシカをしとめていたのだと思います。
ここ、那珂川流域はメノウの一大産地。
とりわけ赤の強い美しいメノウがとれる場所のようで、那珂川の名前の由来(「那珂川」の由来を考える【妄想考古学】)でもあると、僕は想像しています。
まるでルアーボックスにルアーをしまうように、当時は矢じりをこのようなケースにいれて、持ち運び、状況に応じて矢先を取り換えていたものと想像しています。
メノウによって彩も様々。
ケースは流木を削りだし、矢じりの形に整えたもの。
獲物をどれだけ上手に仕留められたか、きっと競い合っていたのではないかと思います。
持っている矢じりの形や色の美しさも…
その狩人の腕前を意味づけていたのではないないでしょうか。
現代の釣りの世界でも共通しているところがどこかありそうです。
この形といい、彩といい…
いざという時のために、家に1セット常備しておくのもよさそうです。
もっと宇宙的な何か
イラクサを使って、あるものを作ろうと思っています。
それは、「糸」です。
図書館で見つけた本を頼りにやってみました。
とても強い。
こんなものが身近なものでできるのですから、自然は本当に宝の山です。
作りたい「あるもの」は「糸」なのですが、その「糸」はまたほかの「あるもの」を作りたくて作ることにしたのですが…
その「あるもの」というのは、まだ内緒なのですが…
ただそれは、友人が勧めてくれたもので、クラフトを始めた僕にくれたアドバイス…
「もっと宇宙的な何か」…なのです。
そして、すぐに閃いて、その「宇宙的な何か」をこのイラクサの糸を使って作ることにした、というわけです。
そんな矢先、このイラクサをSNSにあげたところ…
とある方から興味のあるお誘いをいただきました。
そして僕は、あっさりと異世界へといざなわれたのです。
そこはまるで研究室……いや、小学校時代の理科室のようなワクワクに満ち溢れた空間で、そこには目をギラッギラに輝かせた先輩方がいて、とても楽しかった。すごい親近感というか自分と似ているなと思って、安心したというか…
帰りの車で妙にうれしくなったのでした。
この異世界での時間が僕の創作のアイデアとなり、先ほどの「宇宙的なあるもの」とは別の「あるもの」を製作することへと導いてくださったのでした。
その別な「あるもの」とは「縄文」に関するもの。
これは完全に僕の妄想ですが、「マンモスを狩るのをやめた日」に手にしていたであろうものです。
マンモスは気候の変化と人間による狩猟の影響、つまりは乱獲でいなくなったとされていますが、最新研究では前者が有力説のようです。もっともらしい。
きっと自分たちの獲物を絶滅に追い込むほど、哀れな考え方はなかったと思うのです。
なので、かつての人間はマンモスの激減と絶滅を危惧して、狩猟を控えたはず。
そんなときに生み出されたのが、その別の「あるもの」。
これを作った人間は素晴らしい。
縄文が1万年以上続いたことに大きく貢献しているものと妄想しています。
でも今の現代で僕たちは、この「あるもの」を使って、生き物を絶滅に追い込もうとしている…。
まったくもってなんのはなしやらわかりにくいと思いますが、僕はそんな「あるもの」を作って、宇宙的な時間を遡り、「マンモスを狩るのをやめた日」を訪れたいと思います。
そして、今を見つめなおしたいと思っています。
話は続きます。
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