一日の温度差が20℃。
自律神経の乱れを恐れることもなく、コーラを飲む日々。
秋は随分と深まっています。
久々の大田原。
那珂川では落ち鮎を狙う網師の姿がありました。
ようやく増水があって、鮎も降ることができたでしょうか。
雨上がりの温かな日、出張の帰りにちらりと立ち寄ってみました。
もはや3年ぶりでしょうか。
羽田沼。
10月下旬ともなれば、白鳥が飛来し、新聞の記事になる羽田沼。
この羽田沼から流れ出る水路には、国の天然記念物「ミヤコタナゴ」が生息しています。
大田原市は扇状地で各所から水が湧く、水の都。
そんな水の豊かな大田原にはミヤコタナゴのほかにも希少な魚「イトヨ」も生息しています。
まさに湧水がつなぐ命。
僕もかつて、7年ほどここ羽田に関わって、ミヤコタナゴが自立して野生で繁殖していけるようにと、様々な調査活動を皆さんとともに行ってきました。
羽田の水質悪化が懸念されていた当時、羽田の水にミヤコタナゴを入れたら死んで浮いてしまうんじゃないか…
そんなところから始まって、ミヤコタナゴの繁殖や産卵母貝となるマツカサガイの繁殖もかくにんすることができましたが、自然に彼らが自立して次世代へと命をつないでいくことができるような状態にまでは、まったくたどりつけませんでした。
今一番に思うのはやはり、後悔。
マツカサガイに関しては、極めて数が少ない状態の中、ミヤコタナゴの産卵がちゃんとなされているかを確認するために、隔週で調査。
底の砂利に潜って暮らすマツカサガイを掘り起こしてはハンドリング。
また自力で潜っては翌々週に掘り起こす。
マツカサガイにとっては相当のエネルギーを消費していたに違いありません。
そして、殻を少しだけあけてミヤコタナゴの卵があるのかを確認する。これまたダメージは大きかった…。
当時はこのインパクトについてはそれほど気にかけてもいませんでした。
羽田の水温の日変動が非常に大きいことでマツカサガイが元気がなくなって、水を濾す力がなくなる、そしてミヤコタナゴの産卵母貝として利用されなくなる。
羽田ではマツカサガイの成長が悪い…餌が少ないのではないか…
結果的にわかったこと、いや、予想できたことも少なからずあったわけですが、だからといって環境にどう手を加えれば、状況を変えられるのかは、まったくわからなかったのです。
今もなお、羽田をはじめ、ミヤコタナゴのことは頭からずっとはなれることはなく、どうなっているのか、ずっと気になっていたところもあって、3年ぶりにようやく立った羽田。
ようすは当時のままといった感覚を受けました。
そして、ふと懐かしさととともに寂しさを感じました。
水はしっかりと流れていて…魚影も…タモロコかな。
懐かしい底質。稚貝はいるのかな。
ドブガイ類の姿も。
2011年当時はほとんど目にすることがなかったドブガイ類。
3年前にはたくさん目にするようになったドブガイ類。
ミヤコタナゴは今はドブガイに産卵しているのだろうか。
堰の下には泡がたまっていました。なんだろう。
深みが形成されていました。
シジミがたっぷり。
ドブガイの死殻が散見されます。シジミも。
陸にも。マツカサガイの姿はみられませんでした。
水路は板柵2面で幅は広いので水の流れが緩やで底質は砂や泥といった状況でしたが、植生があって、深みも形成されており、なんかいいな~と感じたポイント。
マツカサガイの稚貝の定着場所、魚のよりどころ、流れの強弱と浅い深いを狙って当時下流から一部移植した植物がびっしりと繁殖していました。
だいぶ増えてしまったなという印象。
しかし覗くと水道は刈られているようで、流れが通っておりました。
底質はどうなっているのか、両サイドはどんな空間なのかまではわかりませんでしたが、メンテナンスがされれば、礫がでて生息場所としてよさげなのかなと思いました。
「よさげ」
この「よさげ」。
あくまでも感覚的なもの。
なんか魚がいそうな場所。
そんなふうに感じる場所です。
この感覚的な「よさげ」は、当時の僕がもっとも大切にしていた感覚。
色々な読み物をみて情報を入れても全部出てってしまう僕にとっては最後の切り札的な、必殺技的なもの。
「よさげ」
羽田に久々にいって、寂しさや後悔も感じましたが、改めて思ったのがこの「よさげ」の感覚の大事さ。
魚や生き物がいそうな場所という「よさげ」な場所の感覚は、子供のころからさんざん魚と関わって遊んで、見てきて、いわば磨かれた感覚だと、思っています。
あくまでも僕の「よさげ」なので、もっともっと豊かな環境で育った方々の「よさげ」の感覚にはだいぶ劣るのかもしれませんが、自分自身の最大限の「よさげ」を当時はフルに発揮して活動していました。
ミヤコタナゴにとって「よさげ」な場所とは?またマツカサガイにとって「よさげ」な場所とは?
この感覚をデータで明らかにすのは随分と難しく、物理環境だけでなく、季節や気候も関わるし、なによりミヤコタナゴやマツカサガイがあまりいない…。
そのデータはそれはそれで大事なのですが、とりわけ、ミヤコタナゴがたくさんいたころの水路環境を知る先輩方の「よさげ」を、労力惜しまずに再現することが一番の近道なのではないかと。人間の制約や大変さなどをいったんおいておいて、「よさげ」な環境を自由に水路で表現することができたのなら、それが「一番」と思いうのです。
ミヤコタナゴがいない時代しか知らない僕でさえも、二面板張りの水路というのはやはり違和感を覚えるし、水路壁の崩壊を防ぐという短期的なメリットはあっても土壌の水の流れを滞らせ、腐らせて、植生は得られないし、結果的に底抜けして泥が水路へ流入。慢性的な表土の流れ込みもあるわけです。
一方で、木の枝を杭にして枝や竹枝などを絡ませるようにして水路壁を補強する。中や土手表面には落ち葉や炭をいれて微生物のよりどころにする、空気や水の通り道ができて、植生ははえるし、土手におちた水も嫌気化することなく時間をかけて濾過されて水路へと運ばれる。
この方法は「水の杜ワークショップ」でしった方法。
細かなことは僕もまだあまり知らないのですが、なんとなくピンときた方法で、羽田に適しているのではないかなと直感的に思いました。
まさに昔ながらの水路管理。
ただ、ひとつ労力はかかる。
生きものにとってはいいけれど、人にとっては優しくないかもしれない。
でも、いつも当時から想ってきたことですが、労力を何とか回避するために楽な方法をとろうとするがために、本質へは遠回りするしかなく、結果たどり着けない。
人にとって楽な、労力がかからない方法での目的の実現はやはり難しいように、感じたのでした。
こんなことを書いて、自分が今、ミヤコタナゴのためにできることがあるかというと、それは恥ずかしながら言葉に出てこないのですが、羽田をさった今、新たな感覚と、改めての感覚に直面したのでした。
そうは言っても地域の事情、関係行政の考え方もあるし、なによりこの水田環境はいまもなお利用されている場所です。その方々の考えを最優先しつつ、ミヤコタナゴにとっても良い環境を整えていく。
そこに落ち着くのでしょう。
ただ、いつまでもミヤコタナゴがいてほしいと、僕は強く思うのです。
僕は、ずっと羽田の皆さんやミヤコタナゴのことを忘れていません。
できることならマツカサガイの増殖だってしたい。そういう熱い想いは当時のままです。
だから今僕は、ミヤコタナゴバンブローチADVANCEにて、栃木のミヤコタナゴの存在を発信していきたいと思います。
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