「たかとしくん、作品展やるってよ」
ほんと、2018年の自分に教えてやりたい。

シンモテギズム。
凄いタイトルの作品展に急遽誘われたのが8月に入ってから。
とにかく時間はないし、すでにあるもので良いと言われたけど…
せっかく地元でお披露目なんだし、あれから随分と時間が経っての今どんなことができるのか。
それを確かめるためにも新しくつくりたい。
色々と投げ出して、わ~っと手を動かす、頭はぐるんぐるん、でらんでらん。
いざ会場にならばさると、ずいぶんと浮いているように感じて、じわりじわりとどこか恥ずかしさのようなものがこみ上げてきた。
沢山の作家さんの間に交わって存在するって、こういうことなのか…。
ほんと、ぐらんでらんだった。

個室に表現されたFUUROさんの作品。
見た瞬間に心の臓がドドキンってなって、それは胸が膨らんだほどだった。
スッと静まりかえる会場のその先にひっそりと佇む。
それは確かにひっそりとで、確かに「静」なんだけど、確かな「動」があって、それは確かに「生」だった。
植物やこの土地の古材という素材のバックグラウンドを知れば、その確かに感じた「静動生」はより一層強くなり、肉付けされていく。
自分自身の中にある像なのか景色なのか、その答え合わせのような、あるいは探し物を探してくようなことが頭の中でおこってかけめぐり…それはひとつずつ証明されていくようだった。
それはやはり今は亡き身近な人が過ごした日常、この土地のいつも知る風景だった。

見る人が想像を膨らませずにはいられないような、そのようなものを作りたい、表現したい。
シンモテギズムで製作した「鰾面年魚観音菩薩立像」(鰾年仏)。

搬入前日の夕方までいじくっていたこの鰾年仏。
形にしていく中で、その想いの柱が少しずつ構築されて、立ち上がっていった。

その矢先、FUUROさんと直接話ができて、作品としては違うものだけれども、そういう想いや感覚が共感できたことがとてもうれしかった。
同じ空間に置かれていたんだな~と回想してしまう。
最初のドドキンはきっと、そういう何かがガチンとつながった瞬間だったのかもしれない。
たいへん勝手ながら、笑
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同級生のお父さんお母さん、保育園の先生、そしてかっこいいものづくりの身近なせんぱいたち…
沢山の方が来てくださった。
またいつか、自分自身の今を確認する意味でも参加させてもらえたらいいなと思う。
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