家の中にいると、黒い中腰がぬっと玄関の戸にせまるのが見えた。
ほっかぶりしたばっぱだ。

すこしばかり戸を開け、静かに家の中の様子をうかがっている。
誰かいるのか、物音の有無に耳を澄ませている。

僕はぐっと重心を低くして、息をひそめた。

ばっぱは去った。
気づかれずに済んだ。

3月はばっぱの誕生日に命日。
あの日の前夜、雪の降る前。
白い服を着たなにものかが裏の畑の方からばっぱの住む離れに向かう姿があった。

後を追うがそこには誰の姿もなかった。

そうゆくことだろう。
ないがしろにしてはいけなかった。

体調を崩しなかなか回復してこない。

そうしているうちに、春はあっというまに…。

人間都合の春。

春の嵐がもたらした急流。

不純な流れを一掃するように、結局のところ彼らがまるっと呑みこんでしまう。

それももう限界にきていることは、昨年の鮎たちのふるまいをみても十分に感じているところ。
自分自身がみて、感じて、関わってきたものをどう捉え解釈するか。
どう行動するか。
やはりここは大事にしたい。

動物たちは素直というのか、自分に嘘がない気がする。

本能とはまた、別のもの。
あるに違いない。

そうして起こした行動は誰かの命の営み、喜びにつながっている。
そうみえる。
いや…

絶対にそうだ。

やはり…そうだ。
自分を疑ったりは決してしない。

そして重なってゆく。

毎年のこと。

僕らの選択ひとつひとつ。
これはおそらく過去のすべてのつながりから導き出されたもの。

これを本能というのなら…たとえそうだとして…
それで片づけられるのか。

みんなつながってみえてくる。

つながりを断っているのは自分たちであるということ。

誰が悪いとか害だとか、僕らの都合で判断してはいけない部分に気づきたい。

春の野山にぽつんと青く光る花をみた。ホタルカズラか。

あの時、息子と聴いた幼子の声は…

まぎれもなく、シロマダラの姫君だ。

そういうところに僕らは棲んでいる。

「そこにクリムシがいる」
病室の角を指さし、そう言ったのはじっちだ。
そしてすぐに、「暗くなるから早く帰れ」と…

死ぬ前のじっちの目は半分開いた瞼の中で、右から左、左から右へと忙しなく。
はじめて見る景色なのだろう…
驚きなのか、不安なのか。

向こうも、こっちも、わずかな差。
いったりきたりしているんだ。

だから僕は、離れのユキノシタが咲くのを、たのしみにまつことにする。
まだ向こうへはいかない。
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