水道の蛇口をひねればでる水。
ごく当たり前なことのように使って、無駄にしたり。
実家には湧水があって、少ないながらあちこちから年中、量の変化はあるものの出ています。
ご先祖さまがここに家をかまえたときに備えたもの。
わざわざ家の横まで引っ張って、蛇口をひねればかけ流し可能な仕組みをつくってくださった。
これは無限にでるわけでもなく、いつか水みちが変化してでなくなる可能性だってある。
東日本大震災の時の影響で一時ストップしましたが、祖父とほりだして今にいたります。
ご先祖様のおかげを想えば、お金はかかっていないものだけど、決して無駄にしてはならない水。
ものづくりにも大活躍の水。
こんな模様を生み出すのみ水の力。
くるみだってわっかいて、漬けるのも、この水。
なぜに水に漬けるのか…。
これはわかりませんが、なんでもかんでも…漬けてみる。
様々な匂いを発し、上出来な汁ができあがるのです。
あれに塗ったり、あれを漬けたり…
水は本当に欠かせない。
山の木だって水。
鱒たちのこの黒々の染めも…
水の力を借りている。
竹だって。
こんな模様や質感は、川の水の影響や傷によって導かれたもの。
ランディングネットの凸レーションに使っている素材たちだってそう。
水に導かれて呈した模様なのです。
流木のグリップ。
こんなにも多様な色彩や模様、形があるのは水によるもの。
木々が死んで那珂川でもまれて、傷から腐食がすすんでいく…カビがはいって模様ができて…
もう、なんとも言えないものができあがるのです。
水が創り出した、那珂川が創り出したもの。
それを使ってさらに創り出す。
素材ひとつひとつ、何者なのか、何をしていたのか、何をみていたのか。
誰しも、感情を表現してくれないものに対しては、こちらから大いに想像を膨らますものですが、那珂川流域の彼らは身近だからこそ、より想像が膨らむのです。
暗くて何者なのか全く伝わらない、ミミズとウナギのオブジェ。
こんな混沌としたものを作りたくなる。
すべては水に導かれた結果なのです。
自家湧水で沢の粘土を濾して練ってみる。
なんだかヌルヌルして、その先にスベスベがある。
きっと肌にもよい…
あっという間に溶けて、マグマのようになって想像もしなかった彩に冷え固まる。
これらも蒸発なのか、すべては水がめぐらせたこと。
彩は何かの素材で決まっているのだろう。偶然のことながら、水が導いたこと。
そして…
鮎たち。まさに水という世界に生きています。
この彩も水が仕立て上げたもの。
これは…
ウナギ。
彼らもまた。
モクズガニだって。
マムシだって。
彼らだって。
水は欠かせない。
花だって。
こんなサボテンの花だって。
那珂川の水だって。
僕だって。
すべては水まわり。
水めぐり。
大事にしたいという想いと行動がまだ同調していませんが、この水のめぐりをあれやこれやにうまく活用できるようになったら…
そう今は想像し、微笑んでいます。
この記事へのコメントはありません。