あれから帯は断続的ながら連日遡上。
帯遡上は下流の落差所で停滞し、たまり、そして長い帯へと発達してくる。というのが持論。
良好の兆しはいつまで続くのか…という不安の一方で、そろそろ加速してくるのでは?との期待も。
本日増水したもんだから、十分にその可能性はある…はず。
例年ならばどんどん帯が発達してくる時期です。
しかし例年通りにのぼってきている早期遡上群。
昨年の主産卵期は11月中旬と遅かったけど、海があったかかったから、早く帰ってきた、なのか?
それとも10月半ばに例年どおり産卵した鮎のこどもたちか。
少し脱線するけれど、温暖化で産卵期が遅れると遡上も遅くなるってなるかというと、海もあったかだから、結局早く帰ってくる…
だとするとどうも影響が捉えにくい。
昨年については温暖化というか個体数が多くて成長が遅れて熟期が遅れたってことなんだろうけれど、ますます複雑です。
昨年の産卵推定数は激減との情報でしたので心配していましたし、だからこそ少しでも彼らのことを把握できるよう何らかの手掛かりが欲しい…。
とにかく知りたい気持ちで心がいっぱい。
あ~じゃねいか、こうじゃないか、そんなことを考えたり、人と議論したりする材料を自分自身の実行から得たい。
何のために?…そんな疑問に答えられるような何かは今は持ち合わせてはいませんが、純粋に僕がそうしたいってだけです。
ただ今の僕にはその知りたいことの答えを明らかにすることはできないから、どうしたものか。
複雑な思いで、ずっと考えてきました。
でも自分にもできることがあることに少しずつ気づいて、今年はそれをやろうと思っています。
やはり僕は魚が好きなんだと、知りたいんだと、研究というと大げさなのですが、調べてみたい…。
誰かのじゃなくて、自分の行動で得た答えが欲しい。
そう改めて感じている春です。
鮎はいつだって僕に元気をくれる。
「ミルクの中のイワナ」
まだ見てないけど、FILM BOOKだけは手にとることができました。
どの話題も考え方とかも僕はすきだし、そしてなにより、当時は内輪だけのみぞ知る問題として提起され、研究・議論されているんだなぁ…っといった感覚を覚えていた事柄(個人的な勝手な思い込みだとおもいますが)がこうして公になった、というような印象受けて、どこか安心というか…なんというか。
「方向性」と大きくくくってしまうと乱暴かもしれませんがそれは以前から変わっていないようだし、そのかわり川と魚への関心という時代の流れは大きく変わってきているんだなと。
それに、やはり「無関心」の言葉。
そして「擬人化」のところ。
そもそも注目すべきはそこじゃないとは思いますが、胸に残るところ。
今の自分を見つめなおすきっかけとなる言葉です。
僕は今、天然遡上する鮎をみていつも擬人的な表現がしたくなるし、声も聞こえてくるというか、声をつけたくなるというか…
擬人化はとても大切にしているところ。
でも当時と好奇心というか知りたい探求心は変わっていない。
むしろ激しくますます強くなっている。
僕はまだ映画を観ていないし、観たとしたら全く別な印象を受けるかもしれません。
でも確かに、なぜ鮎は…という考はが浮かんでくると思います。
制度やルールに法るために、やむなくやらなきゃいけないことがあるのだとすると、その犠牲はただただ川と魚たちが被るだけ。
そもそも初めから、もしくはもうすでにうまくいかないことが確からしい事柄を、無理やり可能性を引っ張り出して力を注ぐのはあまり健全でない。
むしろ、うまくいかないことを立派に証明する。
慣習、当たり前、規則、自分の思い込みを含むて一旦解放し、フリーな心で接してみる。
しこりはほぐれ、大きな方向転換、舵切ができるのではないか…。
そんなタイミングに今きっと、差し掛かってきているんだろうな。っと。
じゃその節目に自分自身がすべきこととは…
今一度考える…
・・・
本当は今日、盆栽の記事を書く予定でした。
非常に残念ではありますが、それは次回以降としたいと思います。
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