鮎の解禁日は「お祭り」だ。
聴こえてはいたけれど、お祭りだなんて意識したことは特になく。
釣れても釣れなくても竿を出す。
でも、我が家では解禁日は必ず家族分の天然鮎をそろえて食す、というのが決まり。
これがいわゆるお祭りってことで…昨日まで気づきもしませんでした。
年々釣れなくなるのは環境だけのせいではなく…明らかに腕という名の感覚の衰えを感じるところです。
それはそれで受け入れつつも、もちろん上達を目指して釣り続けるわけではありますが、今年もたのしもう、がんばろうという決意を固める日でもあり…。
そして、それとは別な枝筋で鮎釣りという祭りをたのしまなくちゃってことで、改めて鮎の大事さを実感する。
そんな日が解禁日であってシーズンの始まりの日。
川に家族と立って、釣る。かけがえのない瞬間です。
鮎に触れて、生を感じる。
死なすということと、味わうということと。
食育という表現はしっくりこなくて、そういうのはどこかむず痒く、ただただ暮らしの一部としていきたい。
春に海から遡上してくるときは8cmほどの小さな鮎。
わずか数カ月で20cmにせまるほどの大きさに成長。
背中は急成長でこんもり。
これが石についたコケをはんで構築されているのだからなお想像を絶する。
この一個体がいかに尊いかを知る。
分厚いボデー。
例年なら生きた姿を記録としてきましたが、死なす、食べるという事実から、死んだ姿を残すことにしました。
産卵、遡上、友釣る、食べる。
この一連を実際に目にできる魚はなかなかいないし、それが近くに存在していることはうれしいこと。
だから毎年この解禁日という祭りを続けていきたいし、生態的な体験も重ねていきたい。
よくよく考えれば、この解禁日という日は漁のスタートではありますが、「食べる」つまりは「命をいただく」という意味ではあるいみゴールでもある日。
今年もなんとか家族分の鮎をなんとかそろえることができました。
2歳児がバク食いするおいしさ。
一番好きな魚は鮎だという小学生も。
解禁初期の鮎は身が柔らかくほろほろしていて、どちらかというとフサギンポ的な印象なのですが、今年は随分としまっていて脂ののりも良く、熟していました。
こういった感覚を家族と共有できるのもいい。
この土地ならではの天然ものの味。
今年もその良さを感じることができました。
順次御依頼の漁獲と仕立てをはじめてまいります。
たのしみにしていてください。
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