竿をなんの迷いもなく振る、娘。
まだまだ暑かった秋の夕暮れ、那珂川。
ランニングにスカート、長靴、那珂川フィッシング界のファッションモンスター。
オイカワ毛針は課題を残したまま、カジカ釣りへ。
こんな沢にてカジカ釣り。
子どものころより慣れ親しんだ沢。
ヒゲナガ先生(黒川虫ことヒゲナガカワトビケラ)をまずはゲットして…
こんなオールド感たっぷりの道具にてカジカ釣り。
箱眼鏡はなかなか古いものでいただきもの。
竹竿は自作です。ためてませんので、そのままの曲がり具合で。
箱眼鏡は一つ。
僕には借してはくれません。
特別な指導はなくても、なんとなく箱眼鏡と竿を握らせれば、ちびっこというのは勝手にやるもんです。
カジカが食らいつくところ、餌に反応させるところ、すべてが楽しい。
箱眼鏡がちびっこに与える刺激は大きい。
絶対に借してはくれません。
そして、お目当てのカジカ(過去の記事)を釣ったのは、やはりちびっこ。
箱眼鏡の効能はでかい。
僕にくるのは…
ヨシノボリばかり。
そうは言っても、餌を石のわきに落とした瞬間に、スッと出てきてアグレッシブに食らいつく、何度も何度も食らいつく、その行動をみられるというのはなんとも中毒性が高い。
かかっても外れて、すぐにまた食ってくる、何度も何度も。
とにかく面白い。
そして竹竿の感度というか手にはじきかえってくるアタリ、魚たちの動きというのは絶妙。
自作というのもありますが、自然のもので釣るというのはまた醍醐味があります。
そしてなにより愛着。
ヨシノボリばかり、釣った僕も大満足。
カジカをしっかりと釣ったちびっこも大満足。
お父さん、川ってさ、自然の遊園地だわ。
カジカ釣りの帰りにでたちびっこの名言。
なるほど。
遊園地にいったのは、ほとんどないけれど、楽しいそうな遊園地以上の場所が身近にあってよかったよ。
また行こう。
川はいい。
オオヨシノボリ。
黒々としたボデーに目立つ背びれ。
とにかく美しい。
小さいころ、歌舞伎役者と読んでいた。
この赤いミミズ模様が、いまでは愛おしい。
カジカのカモ色に穏やかな薄らオレンジがなんとも秋らしい。
少々餌も少ないのか、ヨシノボリの数が圧倒的に多いためか、痩せたカジカが目立つ。
しかし、針かかりしない小型のカジカが多いのは何より。
夕食。
カジカは2尾のみいただくこと、ヨシノボリメインで揚げてみました。
香ばしいカジカ。
美味。
そしてヨシノボリ。
口回りの骨が硬く、今回の揚げ具合では食べきれなかったですが、体の方は、ねっとりとした舌ざわりで、非常においしかったです。
そういえば、ばあちゃんが子供のころは、ヨシノボリを揚げたやつを弁当にいれておかずに持ってったって言ってました。確かにおいしいもの。
そういえば、ばあちゃんたちはヨシノボリのことを「おしゃらぐかじっか」と呼んでました。
お洒落なカジカという意味ですね。
カジカはハゼではないですが、確かに似てますし、カジカに比べて随分と派手でオシャレ。
納得のネーミング。
この辺ではあまり食されることのないオシャラグカジッカ。
商品のレパートリーにいれられる、おいしさでした。
遊園地最高。
お父さんもカジカが釣れたらもっと最高でした。
しかし、数が減ったな~。
自分一人が生息状況を経年的に把握できる範囲って、ごく限られるんだなと、この沢の魚たちの状況を見て思うのでした。きっと、那珂川のほんの一部、その支流のごく一部、そして沢1ッ本。それでさえも把握するのは困難なのだろうな。
でも、そのごく一部であっても状況を毎年把握して、捕る量、つまりは食する量を考えること。
翌年の繁殖を意識して残すこと。
そんなことが判断できるようになれば、うまくこの魚たちを残せるのかもしれないなと、ぼ~と思うのでした。
そして、ちびっこの記憶の中にも今の状況が残るといいと。
梅干の効能
ただなんでカジカが僕に釣れなかったのか。
箱眼鏡の問題ではありませんでした。
ちびっこの宿題。
なるほど。
お父さんは、梅干が食べられない。
なるほど。
カジカが釣れないわけだ。
というか、魚釣りが一向にうまくならない、鮎も鱒もいつも釣れないその理由が、この回答で一気に解決しました。
そうだったのか、梅干か。
梅ジュースならどうだ。
飲んでまた釣りに行こう。
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